アメリカ進出とライセンス事業

クリスチャン・ディオールの最も大きな成功は、ヨーロッパよりもアメリカで顕著に見られました。

自由の女神

フランス流エレガンスに憧れるアメリカ人女性の心を掴んだのです。

そして、ディオールの顧客のうち約半数をアメリカ人が占めました。

ディオールとしては、何とかアメリカで更なる成功を手にしたいものです。

彼は、デザイナーとして一流の腕を発揮するばかりでなく、実業家としても成功を収めることになります。

1947年にアメリカ旅行をする中で、「ライセンス事業」について徐々に構想を固めていたのです。

ディオールにとって、自分の生み出したモードが流行ることは結構なことでしたが、商品がコピーされることには耐えられませんでした。

では、どのようにすれば、商品価値を守ることができるのか?

この点について、彼はブサックらから、「ブランド名の登録」やその他の経営学的事柄を学びました。

更にディオール自身が自分の商品を守るために、特許権使用料の制度化に尽力しました。

当時、ビジネスにおいて二束のわらじ、つまり、デザイナー兼実業家、ということは考えられませんでした。

しかし、ディオールは人の力を借りながら、何とかそれを成し遂げたのです。

ディオールこそ、ファッションの産業化に貢献した人物といえるでしょう。

そして、ファッション業界におけるライセンス事業のモデルを確立し、アメリカでも莫大な利益を上げることになります。

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