ライバル・シャネル
クリスチャン・ディオールが女性らしいシルエットで新世代のモードを確立した頃、その光景を妬ましく眺めていた一人のデザイナーがいました。
ココ・シャネルです。
ディオールがデビューした当時、シャネルは戦時中、ドイツ軍将校と愛人関係にあったことなどから、スイスで亡命生活を送っていました。
ココ・シャネルは1883年に、貧しい家庭で生まれました。
幼い頃に母親と死別し、父親からは愛されることなく、孤児院で育ちました。
そのような生い立ちから、彼女は何よりも貧乏を嫌い、自分の力で成功してみせるという強い意思があったのです。
シャネルの示したスタイルは、女性をコルセットから解放し、マニッシュで動きやすいものでした。
そしてそれは、ただのお飾りとして存在した女性を目覚めさせ、自立に導く力強いメッセージと共に発信されました。
シャネルのスタイルはセンセーショナルで時代の最先端を行くものになりましたが、第二次大戦を経て、心地よさだけを求めた衣類はかえって野暮ったいものに映るようになりました。
ディオールがニュー・ルックを発表した時、シャネルは「あんなのダメじゃない!」と遠いスイスから怒りをあらわにしたといいます。
彼女は後にモードの世界にもカムバックしますが、当時正反対のスタイルを提案していたココ・シャネルとクリスチャン・ディオールは、その後も頻繁に比較されるようになったのです。
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