更なる成功
クリスチャン・ディオールが提案したものは、エレガントな時代への回帰を表した作品でした。
それが「ニュー・ルック」として受け入れられ、バイヤーたちが躍起になってディオールの服を買い求めることになったのです。
アメリカにはモードは存在しましたが、モードの都は紛れもなくパリでした。
そして、パリのモードが戦争の傷跡から復活すると、バイヤーたちがディオールのニュー・ルックを手に入れようとはるばる海を渡ってくるようになったのです。
ディオールの小さなアトリエは、すぐに手狭になりました。
そこで、彼はブサックに新たな場所の確保を申し出て、2つの仮アトリエを手に入れました。
場所を拡張して、従来の顧客とバイヤーを何とか受け入れていきました。
第一回コレクションに続き、1947年8月にはディオールの秋冬コレクションが発表されました。
このとき、ディオールは、「ニュー・ルック」を更に進化させ、より洗練されたスタイルを提案し、このコレクションもまた大成功を収めました。
この時代、彼の「ニュー・ルック」は、すっかり世界のモードの中心にありました。
ディオールのスタイルは、戦後モードの大革命という位置づけになったのです。
1947年、彼はアメリカで「オスカー・ドゥ・ラ・クチュール」賞を受賞し、アメリカに渡りました。
その時、熱狂的な歓迎を受けたことで、ディオールは自分の方向性に更なる確信を深めます。
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