画廊経営
クリスチャン・ディオールに、画廊経営の話を持ちかけた友人がいました。
ジャック・ボンジャンという人物です。
後に永遠の友情で結ばれることになる彼らですが、彼らの画廊のために出資をしたのは、ディオールの父親です。
ディオールは自ら芸術活動をすることを夢見ていましたが、両親の手前ではどうしてもその夢が叶いそうにありませんでした。
それならば、せめて芸術家のバックアップをするような仕事をしたいと思ったのです。
ディオールの案に父親は渋々承知し、1928年、彼とそのビジネスパートナーは画廊をオープンします。
その画廊の名前は、「ジャック・ボンシャン画廊」。
ディオールの名前が画廊名に入っていないのは、彼の母・マドレーヌの強い希望によるものです。
母は、息子が商売で「ディオール」という名前を前面に出すことが許せませんでした。
温厚な彼は、愛する母の気持ちを受け入れ、商売では自分の名前をあまり表に出さないようにしたのです。
それでも、「ジャック・ボンジャン画廊」の共同経営者として彼はその手腕を発揮して、大成功を収めます。
彼らには様々なアイデアがあり、シーズンごとに新たなコンセプトの展覧会を開きました。
これらが好評を博し、美術雑誌でも高く評価されたのです。
しかし、彼らの画廊経営は、たった4年で行き詰ります。
世界恐慌の煽りを受け、1931年には経営を断念せざるを得なくなったのです。
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