駆け出しのクチュリエとして
デッサン画が次々に売れるようになり、多くのクチュリエを顧客に抱えるようになったディオールのもとに、ついにデザイナーになるチャンスが訪れます。
ロベール・ピケ、彼はディオールの顧客の一人でしたが、彼のデッサン画を見て非常に感銘を受け、彼に服飾デザイナーの職を申し出たのです。
これこそ、彼が待っていたチャンスに違いありません。
彼は既に、数年間ファッションデッサン画家として働き、いかに女性を美しく見せるかを熟知していました。
こうして彼の才能は開花し始め、1938年、ピケの元でクチュリエとしての最初の一歩を踏み出したのです。
それはファッション業界で本格的に働く初めての経験で、貴重な下積み期間になりました。
しかし、戦争が勃発した1939年9月、彼は徴兵され、暫くは兵士として過ごすことになりました。
とはいえ、農家での作業が中心だったので、穏やかな暮らしを好むディオールは、むしろ兵役を楽しんでいたようです。
しかし、1941年にパリに戻ると、既に彼のポストには別のデザイナーが雇われていました。
そこでまた彼のキャリアが途絶えるかと思いきや、今度はルシアン・ルロンのメゾンで職を見つけ、働くことができるようになりました。
しかし、アシスタントデザイナーという立場で数年働き、彼は次第に「一生アシスタントのままなのか・・・」という疑問を持つようになり、自立を模索するようになります。
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