デザイナーとしての第一歩
パリに戻ったクリスチャン・ディオールは、もう道楽息子として生きるつもりはありませんでした。
もっとも、彼自身が破産し、彼の父親も世界恐慌で全財産を失い、贅沢三昧に戻れるはずもなかったのです。
彼は毎日求人広告を片っ端から当たり、手に職を得ようと走り回りました。
しかし、どこも失業者で溢れている中、簡単に仕事は見つかりません。
次第に彼はやけになり、就職活動を投げ出したい、という衝動にかられるようになりました。
そんな中、結核の時のように、またもや救世主が現れます。
友人クリスチャン・ベラールの従兄弟でデッサン画家のジャン・オセンヌが、自分のアパルトマンをディオールに提供してくれたのです。
その時、デッサン画1枚でかなりの収益を得ていたオセンヌを真似て、ディオールはデッサンで稼げるように彼の下で修業を積むことにしました。
ディオールはこの時、基本的なデッサンの描き方や色彩に関する勉強、またファッションデザインに関する勉強をし、徐々にその努力が報われ、デッサンでお金を稼ぐことができるようになっていきました。
ディオールのデッサン画を買い取ったのは、スキャパレリ、バレンシアガ、ジャン・パトゥなどの一流メゾンです。
彼は長年ホームレス生活をし、知人宅で暮らしていました。
しかし、デッサン画家として成功し、まとまった収入ができたことで、ついに自分自身のアパルトマンを持ち、自立した生活を始めたのです。
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